【お悩み】
サッカー日本代表のオシム監督の言葉には、いつも悩まされます。今回もアジア大会4位という日本としては受け入れがたい結果を受け、「私が生まれたサラエボの言葉で、“同じチャンスは2度来ない”という言葉がある。2度のチャンスを与えて、ものにできなかった人にはもう巡ってこないかもしれない」とまたもや意味不明のセリフを口にしております。
各マスコミはこれを「代表メンバーの大幅入れ替え予告」と受け取って報道してますが、私には、「しかし、ここは日本だ。日本には“仏の顔も3度まで”という言葉がある。」とオシム監督のセリフが続く様な気がしてなりません。
あるいは、オシム監督自身に「チャンスは2度来ない」と言ってるのかもしれません。これらを考えだすと、本当に夜も眠れません。この言葉をどの様に解釈したらいいんでしょうか?
(25歳男性、サッカー狂)
【回答】
まさにミステリーセンテンスですね。ただ、この翻訳に惑わされてはならないような気もします。サラエボ出身のオシム監督は、セルボ・クロアチア語の方言という日本で話せる人がほとんどいない極めて珍しい言葉を使うといいます。そんな言葉がきちんと通訳されて伝えられているかどうか…。落語に「こんにゃく問答」という演目があります。これは旅僧とニセ和尚のこんにゃく屋・六兵衛との無言問答を取り上げているのですが、いろいろ問う旅僧に和尚は終始無言、はっと気づいた旅僧は、親指と人差し指で小さな輪をつくり胸の前からズイと突き出す。それに対してニセ和尚は両手で大きな輪を作って押し戻す。ハハッと恐れ入った様子の旅僧は両手の指を広げて突き出す。片手をかざしてニセ和尚は応える。旅僧、再度低頭し、指3本を立てて必死の形相で応じる。ニセ和尚、すかざす人差し指で右の下まぶたを引きながらベロを出す。すると旅僧が「到底拙僧の及ぶところにあらず。両三年修行をいたしまして…」とそそくさと退散するというもの。
旅僧の解釈は、『大和尚、ご胸中は?』との問いに『大海の如し』とのお答え。続いて、『十方世界は?』との問いには『五戒で保つ』とのお答え。『三尊の弥陀は?』との問いには、たちどころに『目の下にあり』と……。一方はニセ和尚の解釈は、こんにゃく屋だということがバレたようで『おめぇんところのコンニャクはこれっぽっちだろう』というから、『うんにゃ、こんなにでっけぇ』と言ってやった。そしたら『10丁でいくらだ?」と値を訊いてやがる。少し高えと思ったが『五百(文)だ』とふっかけてやったら、しみったれた野郎じゃねぇか『三百にしろ』と値切りやがるから『アカンベエ』をしたっていうお話なのです。
これほど左様に、思いを他人に伝えることはタイヘンなことで、すれ違い、勘違いなんて日常茶飯事です。言葉なんて、どうにでも解釈できるものですから、自分の都合のいい意味に捉えて、枕を高くして安眠してください。くれぐれも永眠しないように。
ところで、このインタビューでオシムが語った「2回ズボンを下ろして、見せるべきでないものを2回見せてしまった」という発言のほうが、とても気になるのですが、いかがですか?
王 敬寓